場面緘黙治療法アイディア集4

4回目は、私が独自に考えた(名付けた)「コアコンピタンス療法」というものを紹介します。

コアコンピタンス」とは、もともとは経営学上の概念で、「ある企業における、競業他社に真似できない核となる強み」のような意味です。これを、場面緘黙の人にも当てはめて、場面緘黙でない人には真似できない強みに着目して、それを伸ばそうというのが、場面緘黙治療における「コアコンピタンス療法」です。(場面緘黙と似ている吃音や社交不安障害の治療にも役立つと思っています)

・「コアコンピタンス療法」…他に真似のできない強みを見つけ、それを伸ばす。できることに着目する。

 

たとえば、私の場合だと、強みとしては、瞬時にいろいろなことに気づく(頭の回転が速い?)ことが挙げられます。場面緘黙の人にはよくあることかもしれませんが、感じすぎ・考えすぎになってしまうので、どこから話していいかわからず、口数が少なくなってしまうのですよね…。でもそれは、「頭の回転が速い証だ」と、自分にいい方に思っていればよいのだと思います。(人に自慢するわけではないので、心の中で自分をよく思ってあげていいと思います。)

場面緘黙の人は、話せないことばかり指摘されがちで、自分を低く評価しがちだと思いますが、このトレーニングで自分の良いところに着目することで、人に指摘されても気にしにくくなると思います。

私も、長年の課題である自己評価を上げるために、自分のことをよくとらえるように練習していきたいと思っています。

場面緘黙治療法アイディア集3

3回目の今回は、『判例百選』ならぬ『反例百選』というトレーニングです。

(法学部の人ならわかると思いますが、重要な判例(裁判所の判決例)を百近く集めた『判例百選』という書籍があります。このトレーニングはそこからもじっています。)

ですが、ここで使うのは法律の「判例」ではなくて、数学の「反例」(反する例)のほうです。

・「反例法」…人から自分のマイナスの部分を指摘されたときに、「でも、人生においてそれに反することもあったのではないか?」(=長所)をできるだけ具体的に列挙するトレーニング(私は、『反例百選』と名付けました)

 例1)「応用が利かない」と言われた場合:①小~高で塾・予備校に通わず、教材を自分で選んで組み合わせ、教育カリキュラムを考案←この能力は障害克服にも絶対役立つ、②演劇部公演の後の舞台挨拶でとっさに言った一言で笑いを取った

 例2)「効率が悪い」と言われた場合:残り時間から逆算してやるべきことを洗い出し、朝の準備を5分で行う

 例3)「自分から動けない」と言われた場合…①高校の時にクラスの遊びの集まりを企画した、②寮で近くの部屋の人を食事に誘った

 

などと、具体例を挙げていきます。

場面緘黙の人は、家でできていることが緊張のため、学校・会社でできなくなってしまうことがあります。本当はできることをできないと指摘されるなど、他人に誤解されがちです。そのため、「本当はできているんだぞ」と自分を認めてあげることで、きっと学校・会社でも少しずつ自信を持って、(家と同じように)本当にできるようになっていくのではないかと思います。

場面緘黙治療法アイディア集2

場面緘黙治療法を当事者の視点で考えていきます。2回目の今回は、「消しゴム不安解消法」です。

・「消しゴム不安解消法」…消しゴムでなくてもなんでもいいんですが、手に何か握りながら話すようにする、という簡単な方法です。私はちょっとしたことでも人に話しかけることに勇気がいるので、ドキドキしてきたら消しゴムを持つようにしています(消すためでない、緊張緩和専用の消しゴムをオフィスに常備しています)。この方法で大事なことは、「これをやっておけば大丈夫」という暗示にかけることです。本当は消しゴムでなくても何でもいいし、握るものでなくてもいいんですが、たまたまオフィスで持っていても違和感のないものとして、私は消しゴムを選びました。お守りとして暗示にかけることができればなんでもよいです。この方法で、場面緘黙の人の思い込みしやすい性質をプラスに働かせることができるのではないかと思います。

場面緘黙治療法アイディア集1

場面緘黙治療法について、私が考えたものを具体的に紹介していきます。約1年前の記事で、いくつかの治療法アイディアを箇条書きで挙げたのですが、これから一つ一つ具体的に記事にしていきます!

①「グーグルアース法」…(グーグルアースっていう固有名詞を使っちゃっていいのかわかりませんが(笑)、)グーグルアースで地球を見たときに、だんだん遠くから近づいていく感じになりますよね。

日常生活で緊張しているときって、きっと自分の周りしか見えていない(視野が狭くなってしまっている)んだと思います。だから、人と話していて緊張している自分を上から眺めていくような想像ができると緊張が弱まるのではないかと思います。自分と話している相手の頭が見えて、オフィスが見えて、オフィスのある市(区)が見えて、県(都)が見えて、国が見えて、地球が見えて、宇宙が見えてくる…みたいに、だんだん視点を広く上の方に持っていくような想像をするのです。仕事をしている自分が、いい意味でたいしたことのないように思えるように、もっと大きなものを想像してみる訓練です。

場面緘黙の人は一つのことを真剣にとらえてしまいすぎると思うので、気楽に考えられるためのトレーニングの一つとして有効なのではないでしょうか。

「怒りっぽい」を軽減する方法

私は人前で大人しくなってしまっていますが、内心は怒りっぽいです。どうにかして、イライラしやすいのを軽減できないかとずっと考えていました。

そこで、そもそも「怒る」とはなんなのか、考えてみました。

私の言葉でいうと、「怒る」とは、「こうあるべき状態と現状とが乖離している状態に対して起こる感情」なのではないかと思います。つまり、怒る人は、こうあるべきだという理想が自分の中にある人だということになります。そう考えると、怒りやすいのも悪いことではないのかなと思えてきます。こう考えることによって、私は以前よりイライラしにくくなったような気がします。「怒ってしまっても、それは悪いことではない」というように、良い面に目を向ける(悪いと思われる事象を再定義する)とよいのだと思います。

「今ここ」に集中できるーマインドフルネスと料理

マインドフルネスという言葉を聞いたことがありますか。

過去や未来にとらわれず、「今ここ」に集中するためのトレーニングです。

呼吸をしながら、それだけに意識を向けるというものです。

そういうと難しそうですが、途中で雑念が浮かんできたとしても、それをありのままで受け止めます。

何事も、「それでいい」と思えるようになり、自己肯定的になれます。

マインドフルネスの本はたくさん市販されていますが、私はこちらの本をおすすめします。

 外資系エリートが実践する 100%集中できてストレスをためない脳の鍛え方(WAVE出版)

http://www.wave-publishers.co.jp/np/isbn/9784866210100/

 

私は、いままであまり料理をしてこなかったのですが、最近外食が多いのを何とかしようと思い、会社でのお昼休み用にお弁当を作るようになりました。

そこで気がついたのが、「料理もマインドフルネスと似ているのでは」ということです。

料理を作っているときは、それだけに集中できるので、今まで人に言われた嫌なことなどが思い出されにくいのです。

「食材を余らせないように守ってやらないと」というように、自分より弱いもの(食材)と向き合っているので、人間同士の対等な関係を考えなくて済みます。

 

料理に苦手意識のあった私でも、上記のような効果が感じられたので、人間関係などについて考えすぎてしまったり、思い悩んでしまいやすかったりする人には、ぜひ、料理でマインドフルネス効果を実感してみてほしいです。

 

 

 

【場面緘黙治療】緘黙経験者からみた最も効果的な方法とは

場面緘黙を発症して20年近くたった24歳(社会人3年目)の私が考える、場面緘黙に最も効果的な治療法を挙げてみます。

それは、いろいろな場所で、いろいろな集団の人と会うことだと思います。

 

私が小学生のときは、①小学校の知り合いと②家族・親戚などの知り合いしか身近におらず、「地元=平日=学校=緊張」と「東京(親の実家があります)=休日(長期休暇)=家族・親戚=リラックス」の2つの図式が出来上がってしまっていました。

私は、学校のある地元ではいつも緊張していて、東京の親の実家で親戚に会った時だけはよく話すような子どもでした。(私の場合、親戚は地元には住んでいなかったので、「学校のある地元での緊張と親戚に会える東京でのリラックス」の構造は顕著なものだったと思います。)

ですが、社会人になった今では、小学校で知り合った人から社会人になって知り合った人まで含めいろいろな知り合いができました。そして、行動範囲が広がり、その人たちと、いろいろなシチュエーションで会っています。

たとえば、大学(地方にあります)の知り合いと東京で会ったり、会社の人と社外で、社内のサークル活動の用事で休日に会ったり、高校の部活仲間と学校でなく飲み会の席で会ったり…などいろいろシチュエーションでいろいろな所属集団の人と会う機会ができ、「大学や会社=緊張する場所」という図式がいい意味で崩れつつあります。

このような体験をできるだけ緘黙初期(幼稚園・小学校)のうちにできれば、その後の治りは早いのではないかと思います。

とはいっても、幼稚園児・小学生がお酒の席に出る…というわけではなく(笑)、①親など話せる人と学校(緊張してしまう場所)の近くで会う、②普段は話せない学校の友達と家で会うなどのことをすることで、「学校=緊張」の図式を取り払っていけたらよいかなと思います。(実際、私も小学生のとき、友達を家に呼んだら、家ではその友達と話せた、ということがありました。)

 

社会人になって気づいたのですが、ある一日、その日は平日であっても、年休にすることができるし、そうすると会社に行く日ではなくなる…小学生のころは緊張していた平日でも、実は簡単に休みの日にできてしまえるような、平日なんて絶対的なものではないものなんだ、ということです。平日(学校に行く日)はもっと気楽に考えられるものなんだってことです。

 

でも、学校に行くことに緊張していた過去の自分や今、緘黙の症状がある小学生なども、決して悪いものではないと思います。それだけ物事を真剣にとらえているということなので。